昨日ふと思った。
自分自身の身の回りのことを最適化していくことに対して。。
特に人間関係において、最適化は気がつけばされていくもの。
好きな人や気の合う人、楽に過ごせる人などなど。
また、そのような人たちとの付き合い方も、最適化を繰り返す。
世の流れの中で、余計なことは言わない風潮があり、それは相手に対しての
気遣いというよりもそれこそ自身の環境の最適化に向けた行為と言えるのではないかと。
世に言う、癒しや、脱力もちろん必要なんだが、それが継続的に且つ無意識に近い形で
行われた時に成長や、よりよい関係、相手にとって普遍的な価値あるものになっているか。
常に深くそのような関係作りを意識する必要はなくとも、ただ、自分にとって楽な最適化の
繰り返しに価値があるのか、とても疑問に感じている。
言いたくなくともあえて伝えることや、厳しく接することで悪化する関係も悪くはない。
ただ、それらは、意識的に行われなくてはならず、本人の覚悟の上で行われるべきではある。
最適化と相手への思いやり、一見すると同じような接し方ではあるが、前者は利己的、
後者は利他的似て非なるものだったりする。
人間関係に疲れる時代だからこそ、考えるべきこと。
あえては言及しないが、自身の悩みの源泉は結局自身にあり、誰も埋めてくれるもの
ではない。
ましてや誰のせいでもない。
唐突ではあるが、たまにはちょっとしたことに思いを巡らせてみるということも
必要なのではないか。













